theohazeの記録

theohazeの独断と偏見による雑記

モノと情報と人生

モノについて考える。

 

それはホントに必要なものなのだろうか?

モノに降り回されていないだろうか?

 

使い切れていないのであればそれは不要なモノなのだと思う。

 

いつかいると思ってとっておくのは意外に不要なものです。

 

大体の実家は捨てきれないモノに溢れていてモノを使うのではなくモノに支配されている。

 

人生というものは思っているよりももっともっと短い。

 

いるものいらないものを明確にしていくコトでよりスッキリしていくコトを心がけたい

 

まぁ、いわゆる断捨離で(笑)

 

 

そして、今の時代は

情報も断捨離しなければならない

 

情報はカタチがないのでまたややこしく、しかもよく見せるように出来ている。

 

 

情報に降り回されていたら、それはその人にとっては要らないものなのだろう。

 

今の時代の情報量は

江戸時代の一生分の情報量が

今の人の一週間分くらいらしい(笑)

 

それくらい情報過多な時代。

が、自分が好きなものをひたすらとれる時代でもある。

 

何でもプラス面とマイナス面がある。

 

ので、いちいち色々なモノに振り回されていると訳のわからないまま人生は終わるだろう。

 

物事の根本をみる練習をしたい。

例えば自己啓発というものもイギリスが仕掛けた商売の流れでもある。タダの善意ではなく、商売はこの世の95パーセントというコトを頭においていたい。

 

誰が何のためにそれをしているか?

 

そのあたりを根に置きながら物事を見定めたい

 

ボクはスピリチュアルの商売もより日本人を混乱させるために仕掛けられているのではないかな?っと思う。

 

だって人生ってスピリチュアルなものだから商売じゃないでしょ?

しかし、それによって間口が広がってより精神性が広がるのでやはり何でもプラスとマイナス。

振り回されないようにね。

 

 

必要なモノと情報。

それは人によって違うのだと思うけど

自分にとって大切なモノ。本当に大切なモノを感じるコトに気をつけたい。

 

それは心が パァーっと喜ぶコト。

それがその人にとって大切なコトなのだと思う。心の底から喜べるコト。それを感じたい。

 

憧れとはそれは違う。

 

心が閉じられたり面白そうなものがたくさんある時代なので、この世に生まれて知りたいコト、体験したいコトはなんだったか?を感じてみたらよいと思う。

 

誰がなんと言おうと

人は人

 

自分は自分なのである。

 

自分で生まれて自分で逝くのが人生である。

もちろん意固地になるのではなく

人がいてこその自分。

 

しかし、この世を認識しているのは自分を通じてなのである。

 

 

ので、自分を含めて全てのモノに感謝して生きれたら嬉しいね♪

 

 

 

最近、脳を研究している人と喋っていて思ったコト。

 

自己啓発系の本を読むと無意識っていうコトバがよく出てくるけど、実は生活のほとんどが無意識の状態で

 

食べるのも無意識、歩くのも無意識。

ピアノも鍛錬していけば無意識の状態で弾いているようだ。

 

確かにボクもドラム叩いたり絵を描いたりしている時は、ほとんど無意識なんだな

 

っと思う。

 

 

そこで面白いのが無意識は作られていくモノ

 

っというコトである。

 

無意識は実はインプットされたものによって出来ていくので

 

 

自分がまずどこに行きたいのか?

っという欲求を明確にして

 

 

何を見て  何を聴いて 何に触れて

 

っというコトを選んでインプットしていく。

 

そういうコトは無意識を使って行く上ではとても重要なコトなのだ。

 

 

その辺をシビアに

一貫性を持ったモノにしていくと、情報が整理されてドンドンとスッキリしていくんじゃないかな♪