ギャラリーと美術館と経済
今回の話はアートのレア話です。
あまり表だっては出てこない話。
けど
こういう方向からみるとまた色々と見えてきます。
ニューヨークは2016年に二度行きました。
一度目はアーモリーショーとボルタNYというアートフェアに
二度目はオークションウィークに合わせて行きました。
始めは主にチェルシーという地区を中心に
二回目はブルックリンとロウワーイーストサイドのギャラリーをウロウロ歩いてまわりました。
一度目は把握するのでいっぱいいっぱいでしたが二度目になると色々と見えてきて、確かに場所は変わるけども構造的には変わってないのだろうな
っと思いました。
ニューヨークでは前まではアート観光地だった場所が育っていくとハイソサエティな場所になっていく。その移り変わりが早いです。
ロウワーイーストサイドにギャラリーリチャードというパリとニューヨークでスペース持っているギャラリーがあり、フランス人と日本人の夫婦でされていて運よく日本人の方がいたのでお話を聞けました。
ちなみにボクは英語は買い物が出来るくらいで、後はさっぱりで(笑)
フランス語なんかもうって感じです。
NYのギャラリーリチャードも元はチェルシーにあったのだが家賃が上がってとても払えないのでこっちに来たというコトでこっちに移ってきた。という話で
バクっというと基本チェルシーは投資家が客
ロウワーやブルックリンは観光客が客みたいな感じですね。
その方の話によると、大きなギャラリーはドンドン大きくなり小さなギャラリーは潰れていくばかりになった。というコトで
どこの世界も二極化だなあ
っと思いました。
二回目は中国の有名なアーティスト、アイウェイウェイさんがグッゲンハイムで個展をされていました。
そして、周りのギャラリーも扱っているのは中国人や日本の作家が多い。
っというようにギャラリーは一見みんなが好きなモノを扱っているようですが、いうても売らないとやっていけないので、便乗してその関連のアートを売ろうとするわけです。
まぁ、そこまで露骨ではありませんが、そういう傾向はあるというコトです。
海外では
美術館で何をやっているか?をみると面白いです。
それによって周りのギャラリーとの動きも見えてくるので。
国の力関係まで見えますね。
そして大きいギャラリー程その動きが露骨です(笑)
なぜなら大きいギャラリーには美術館にいったお金持ちや投資家がそのままくるからです。
アイウェイウェイの巨大なインスタレーションをグッゲンハイムでやって
ギャラリーでは大木をブロンズにキャスティングしたような作品を売ってました。
こんな
んで、キャスティングされる大木も飾っています。
家に置きたいと思わせるモノを売っているわけですよ。しかもシリーズの内の一点を買ったみたいな満足感も得られるわけです。
ちゃんと平面も三点で1セットみたいなやつです。
いや〜、かしこいですよね〜(笑)
美術館でインスタレーションをしてギャラリーでは売れるようなモノ、持って帰りたいようなものを展示しているというコトです。
お互いに相乗効果を生んでいるのです。
2017にパリに行った時なは近代美術館ではトンベリの展示会をやっていてガゴシアンでもトンベリみたいな(笑)これはホントにわかりやすかった(笑)
アートの世界に清貧を求める傾向はあるのですが、コアなところはお金がゴゴーっと動いてます。まぁ、いうてもルーブルに展示されるようなモノは当時の王朝や教会の最高峰のモノばかりですから。
それこそアートの世界は広いのですが、その経済アートの世界を実質的に動かしている層がほしいのはピラミッドの先の方なのです。
裾野が広がれば広がる程てっぺんの価値が上がる。
西洋の人が考えるのは価値作りです。
日本人はどうしてもお金だけの方に意識が行きがちですが、価値作りというモノに西洋人は意識がよくいってると思います。いわゆるブランディングというやつですが、もっと根っこの方に根本的な意識の違いがあるように感じるのは、それは
お金というモノを作った。 さぁ次どうしようか。みたいな。んじゃ、それに見合うような価値のあるものを作ろう。みたいな
そのノリでココまで来てそれがより過剰になってきているトコはあるのでしょうね。
興味のある方はオークションを見て下さい。サザビーズ、クリスティーズ、フィリップスのオークションを見たら現代のアートの位置というモノが結構わかる所があると思いますよ。
印象派➡︎近代➡︎現代と。
なんでも良い悪いで判断するように仕向けられていますが、良い悪いではなくどういうシステムが動いているか。っというコトです。
社会のシステムは作られており、そのシステムの中で生きて生かせていただいているのというコトも頭に入れて人生を楽しみたいですね♪