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theohazeの記録

theohazeの独断と偏見による雑記

運ってどこから来るの?はじまり

ボクは実は運についてはかなり考えるキッカケがあった。

10代の後半から20代前半はストリート三味線をしてお金をもらっていた。阪神間のどこかの駅にいきなり座り出して演奏する。これは非常に勇気のいるコトであった。が、ドキドキよりワクワクが少し勝ったのでやった。

 

何故やったかというと、ボクは乞わなければならなかったのだ。乞食のように乞わなければならなかった。芸能の原点はそんなところにあると感じていたから。

そういう人たちを昔は河原者といい河原者の気持ちを少しだけだけど味わったと思う。

 

津軽三味線の成り立ちはそれこそ門付けといって家々をまわり三味線を弾いてコメやらをいただく。そのような世界であった。

歌舞伎は出雲の阿国が裸踊りのようなモノを京都の橋でやって、洗練されて今があるのだが、初めの頃は風紀的に問題があり、まず女性が踊るコトを禁じられ、次は少年が踊るコトを禁じられ。

残ったのは中高年男子というコトである(笑)

 

本気で乞うコトをしないと分からない芸がある

 

やりたいという気持ちは凄いもので大体いつも30分で一万円くらいは入ってて40000円くらい入っていたコトもある。

 

気迫、それくらい魂の荒削りをしていたと思う。それが三年もすると段々商売じみてきて、面白いもので聞いてる方もそれが解るみたいでリアルではなくなって来たのでやめた。最後は重さで大体どれくらい入ってるかがわかった(笑)

 

人っていうのは感動するポイントがあって

津軽三味線も三段構え 

 

1、驚かす

2、静かに聞かせて

3、もりあげて終わる

 

という日本人の感動ポイントの三段構え。それが解ってきたら余りそこに面白味を感じられなくなって来たのだ。もちろんそれによる筋力はやればやる程ついてくるものなのですが。

 

無心で演奏していると不思議な体験をした。 水の中で自分の音を聞いていて自分の手は勝手に動いて弾いているのだ。そんな不思議な体験をしたコトがある。そして心の中ではひたすら感謝をした。

 

ボクは三味線を弾いている時に途中くらいから常に心の中でありがとうございます。ありがとうございます。

と唱えながら弾いていた。そしてそれが何十万回かに達した時に  湧き出るように涙が溢れ出した。

そういう演奏はミュージャンが若い時にしかあまり良い曲が書けないのと似ていて、その時にしか出来なかったコトである。

 

 

その後は奉納演奏ばかりするようになった。

段々と人に対して演奏することに面白味を感じなくなったのだ。

人よりもその土地。森や山奥の何か感じる場所でその刹那 感じたコトを直にオトにしていく。

誰のためでもない。言うなれば自分と何かだけのため。ただオトを素直にだしてその土地と時間と一体化する。そういう感覚が好きだった。

 

ストリートをしていたその時に日頃普通に生きていたら出会わないであろう色々な人から声をかけられて、また様々な場所でも弾いた。イベントはもちろん。飲み屋や高級クラブとかでも弾いたりして、そのあたりの女の子と喋っていて、舞台裏を垣間見みたり。

ヤクザの親分だといいわれてた人に出会って飲みにいったりして色々な話をきいた。

 

その時に借金を何千万かして明日夜逃げしなければならないという人がいて。この人に三味線を聞かせてやってくれといわれ。なかなかハードルが高いなと思いながらもとりあえず心を込めて弾いた。 きっと聴いている余裕はなかったと思う。顔面蒼白だったのは覚えている。

 

そしてその親分みたいな人から、大概は捕まるのだけど、何をしても捕まらないヤツがいるという話をきいた。そういうやつは運が違う

っといっていっているのが何かひっかかって

 

さらに

その頃松下さんに興味があって松下さんの採用の仕方が運が自分で良いと思ってる人は手を上げて。

っというような内容で 

 

人ってどういう基準で運が良かったら手を上げれるのだろうか?とか

 

運って何処から来てるんだろう?運が良いって何?っというコトに興味を覚え探求していくコトになった。