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Essentialな事象

プロフ2

幼少から小学校まではひたすら粘土をよく造っていた。自分に子供が出来て知ったのだが情操教育として粘土はすごく良いらしい。たしかにとても器用になるし、三次元的な感覚が身につくのかもしれない。

 

あ、プロフ1のつづきです。

 

thaze.hatenablog.com

 

小学校は魚崎小学校といって、百年くらいの歴史ある小学校であった。校舎は古いが歴史を感じられる堂々とした建物で、校庭は広く清水もながれていたりと、とても良い思い出がある。

 

小学校に入ると図工が得意で何かとよく入賞していたが、キン肉マンが流行り始め、書く人物がみんなマッチョになり始め、造形のマイブームはフェードアウトしていって撃沈(笑)

 

外で遊ぶのも好きだし内で遊ぶのも好きで、リレーの代表選手にはいつもなってたり。どちらかというと遊んでいた記憶しかない、何のストレスもない恵まれた子供時代だったと思う。

 

因みに母が卓球のコーチで、その母に仕込まれた事もあってか卓球の大会で優勝してた。 

 

住んでたのは神戸市の東灘区であったが、中学校から神戸市の西区に引っ越す。その後阪神大震災があり、元住んでいた場所はグチャグチャに潰れていた。その時に「運」というものを感じ始めたのかもしれない。

 

中学は卓球部に入ろうと思っていたのだが、クラスの友達から吹奏楽部に誘われて入部、打楽器を専攻。歳の離れた兄の影響で洋楽ばかり聴いていた。そのまま中、高と打楽器に明け暮れ、ドラムの専門学校に行こうと高3まで思っていたのだが…

 

ジェイ、トレンツリャドという、いわゆるラッセンとかとのプリントと同じような感じで販売されている絵を見て  何か絵を描きたくなり…

 

その時、音楽やったら日本止まりやけどアートやったら世界を観れるというインスピレーションがやってきて、進路変更。芸大を目指すコトになる。

 

ジェイ、トレンツリャドによほど感動したのか、次の日から一重瞼であったのが二重瞼になった。