霊感について4自霊拝
さて、守護の方とよりつながるためについてです。
このブログの中で一番大切なコトかもしれません。
実はこの記事はブログを始めた2017年の2月頃に書いていましたが、載せるのやめとこうと封印していました。
しかし、ブログを見た何人かの方がもっとその辺りを知りたいと言われたので書くコトにしました。
よりインスピレーションを高める方法。
それは
「自霊拝」というものです。
文字通り自分の霊を拝むという行為です。
それは同時に自分の心を拝むというコトなのです。
色々なサイトで紹介されていますが、過去世の自分まで言っちゃっているトコロはないと思います。
また、この記事をみた方がうまく書くであろう(笑)
さて
今の時代、自分自身以外のコトに感謝するコトはよく教えていますが、自分に感謝するコトはあまり教えていないかと思います。
そういう人はエゴイスティックやナルシスな人とカテゴライズされてしまうからです。
しかし、自分というモノが終われば、過去世、来世はあるかもしれませんが、とりあえず今世は終わりなのです。
自分がこの世界を知覚しているのです。
低度な自己愛は確かにエゴイスティックやナルシスにつながりますが、高度なそれはまた違います。
この自霊拝という言葉自体は聞いた事がある方もあるかと思いますが、天皇陛下がされていた古神道の奥義、「御鏡御拝」というものがベースとなっています。
ボクは20代の途中で運について疑問に思い、運はどこから来るのかな?っと
色々なモノを調べました。
そして、行き着いたのがこれでした。
運と霊は微妙な関係にあります。
守護の方という概念。
それも、もしかしたら遺伝子の突然変異で何かそういう記憶とか残っていたり、遺伝子学で説明できる日が来るかもしれませんね。
なんせ一番不可思議なのは人だと思います(笑)
では、とりあえずのやり方を説明します。
鏡を使います。
普段、鏡を見ない人はいないでしょう。ですが、いつもと違って、じぃっと自分を見据えるような感覚。他人をみるような目で自分を見てみましょう。
自分の向こう側、奥の奥を見る感じです。
そして、手を合わせて自分の目の奥をじーっと見ます。背筋を伸ばしましょう。そして、心の中でもよいので、自分の名前を呼びます。あたたかい気持ちで人の名前だと思って呼びかけて、感謝の念をこめてみましょう。
ぶっちゃけそれで終わりです(笑)
胸がホワっも暖かくなって霊と合一する感じがしましたか?
これは一日で出かける時や、ちょっと気が沈んだりしたスイッチを入れたい時にされたらよいかと思います。
一番大切なポイントとしては
自分に感謝しているか?
っというトコロなんです。
過去世の自分が今の自分を護ってくれてる。って意識したら、感じる方も多いかと思います。
つまり、自霊拝は
自分の霊を意識するというものです。
だから神社には鏡が置いてあるのです。
神社に鏡があるのはこのためです。
まず、自分の霊があり、その社の霊があるのです。逆では本末転倒なのです。
それがリアルな巡礼です。
霊的交信なのです。古代は体は入れ物という認識がとても強く、霊というものがより大切にされていました。
今では当たり前ですが、人は鏡なしでは自分を見るコトもできません。
それくらい自分というものは謎なものであったのだと思います。
鏡があって初めて自分というモノを認識できたのです。鏡も古代は貴重なモノでしたので。
説明的に言うのは嫌なんですが。
簡単にいうと
自分自身を自分の霊体と一体化して。 これによりインスピレーションをよくして人生の流れや感覚を作っていき、楽しい人生にしていく方法です。
一番置きざりにされているのは自分です。
自分のコトを当たり前みたいに思いすぎなのだと思います。
人に借りたモノであれば大切に扱うかと思います。
人生も借り物だと思ってみましょう。
きっと今よりも大切にするでしょう。
それくらいある時は大胆に、そして大切にしていきたいものです。
自霊拝の分かりやすい説明を載せてくれているサイトがありましたので、載せておきます。
http://ningen-kou.doorblog.jp/archives/24412154.html
1993年にたま出版から出ていた本です。「超日本人の時代」 山田雅晴(著)より
ちなみに
たま出版のたまは魂のたまです。
日本人は一切に神が宿ると考えていた。万物が仲間同士であるという万物同根思想が根底にある。この古神道に「自神拝(自霊拝)」と呼ばれる鏡を使った奥義の行法がある。これは鏡に映る自分の神性に向かって拍手を打って拝礼し、自己の神性・霊性を高める方法である。
自神拝で自分を拝むというのは、自己を過大に評価する事ではなく、自己に秘められた神性を自覚する事で、自分に宿る無限の可能性に目覚める事である。そして、家族と自分、祖先と自分、天地の神と一体であり、万物と一体であり、永遠の命であると実感し、自己に秘められた宇宙意識に目覚める事である。
宗教が宗教であるための条件とは、「教祖」 「聖典」 「教義」を有している事であるが、古神道の場合、教祖はいないし、聖典・教義もない。なぜなら、神道は教(おしえ)ではなくて、道(みち)だからだ。人間の肉体を「神の宮」とし、直霊が「ご神体」になっている。神道とは、神に至る道であり、自分の足で踏みしめて歩いていく道である。神道という教えや宗教があるわけではないのである。
以上。
しかし、ここでは具体的な守護の方→過去世の自分からというトコロまでは説明していません。
過去世の自分。それを意識した上での自霊拝だとボクは思います。
これは洋の東西一緒のようなコトを言っており
インドの梵我一如
古代エジプト⇒古代ギリシャから続くといわれている秘術も似通っているのです。
この世を認知しているのは自分です。
自分がいなければ何かを触るコトも味わうコトも見るコトも出来ないのです。
ので、自分自身を通じて天地自然に感謝するコトはすごく自然なコトのように思います。
まさに梵我一如です。
一番謎なのは自分という存在です。
自分を明確にしていくことが人生を明確にしていくことに繋がります。本当に自分が望んでいる事は何なのか?
それを知らなけりゃ大往生できません。
体験し尽くしていきましょう。
先ほど過去世と書きましたが、輪廻転生があったとしてもなかったとしても、この現世はこの一回で終わりなのです。
切ない、切ない。ありがたいありがたい一回なのです。
ので、自分が自分自身をより最高と思わなかったら空虚な世界です。思えないなら思えるように行動することです。
高度な霊感は守護の方を通じてやって来ます。
インスピレーションとは守護の方からのメッセージなのです。
みなさんがより自分の道を幸せに進み、人生がより楽しくなる事を願っています
よ。
自霊拝をテーマにして作った作品です。