アートステージ大阪2022
アートステージ大阪の内覧会にお誘いいただいた。大阪のアートフェアも着々とおっきくなっていってる。関西の人たちがアートに関心が増してくれる事を願う。が、やはり海外からのお客を増やさないと根付かない印象なので、そのあたりが今後開拓されていくのだろうな。っと思う。
現時点で地元関西人の興味を惹くためにはある程度おもしろさとか派手さが必要なのだろう。なんせ、大阪人は中沢新一さんのアースダイバー的いうと基本海民。東京の人たちよりもバクっとして、やったれ〜みたいなノリの独特の感性がある。
大阪と東京のアートの違いは一言でいうと
大阪はオモロいもんが好き
東京はシュッとしたもんが好き
っていう傾向はある。
そのあたりがアートにも通じているようだ。
東京にも面白いものはあるんだけど、大阪のオモロい感じじゃない。ツボが少し違う。
服の趣味も違うし、そのあたりは意外と重要な観点な気がする。
が、結局のところ海外の人に受け入れられる作品でなくては拡がらず、日本人同士牌の取り合いで終わってしまうのは続かないので
ここのアートフェアに来る理由。グローバルな感覚の中での日本大阪の強みを押し出す必要性が最重要だと感じた。
以前からあるのは禅、アニメ、だがそのあたりはもう大体掘られているが、そこからまた違うものを提示する必要がある。メディアアートはアジア人は好きな印象がある。が、本場欧州のコレクターを唸らす作品が出て来たらよいな!やったるぞー!
元森美術館長の南條さんにポートフォリオを見ていただく機会があり、見ていただく。
感想は強い。既視感がない。
具体美術の流れとしては嬉しい感想だった。
なんせ、降りてくるままにやるしかないな。っというのが結局のいつもの答え(笑)ボクは一番大切だと思うのは死んだ後にも訴えかけれる作品を作る事だ。それだけだ。
写真はアートフェアの一環で見せていただいた八億円の部屋。日本人が買うのか海外の人が買うのかはわからないが、2025年に向かって日本人と海外の格差はより拡がるように感じる。
モディリアーニ展
展示室は三つに分かれていて
1.モディリアーニがあの画風にいきついた経緯
2.同時代を生きたパリの画家の作品
3.いわゆる往年のモディリアーニの作風
っと別れていた。
画風にいきついた経緯は、まずモディリアーニは彫刻家を目指したという所が一番のポイントで、文学青年でもあったモディリアーニは当時、懐に忍ばせてあったダンテの新曲も吹っ飛んだかもしれないくらいアフリカ美術の印象は鮮烈だったことだろう。
この時代、アフリカ美術に影響をうけていない芸術家はほぼいなかった。有名どころではピカソだが、彼は再構築し全く新しいスタイルをうみだした。キュビスムという哲学をのせて。
マリーローランサンやシャガールもキュビズムの影響を受けていると思うが、もっと有機的にいうとアフリカのラインだったんだな。っとアーティスト目線では理解した。
それを縄文で日本版をしようとしたのが岡本太郎だが、みんなのってこなかった。
オリジナリティを追求している芸術家たちにみえるが実はパクリパクられ、まるで鍋のような状態である。研鑽に継ぐ研鑽。
2.同時代を生きたパリの画家の作品
では中之島美術館所蔵の芸術家たちのどのような影響をお互いに受けて与えていたか?というところが読み取れる。
時系列でみるとまた面白いものである。
流行りというモノにのるのは芸術家のグレーゾーンだ。
モディリアーニはアフリカの美術の延長線上でそこを脱し切れてはいない印象であった。
ブランクーシの影響をかなりうけていて、彼のようになりたいと思ってしまったらもうそこからは抜けられない。
ブランクーシほど当時流行していたアフリカの美術を咀嚼して神性にまで持っていったアーティストはいないと思う。ボクもブランクーシが大好きだ。
その中での苦悩と苦闘がみてとれる
藤田嗣治の作品も数点あり、先日元具体の松谷武判さんにお会いした時に吉原さんが藤田さんに紹介の手紙を書いてくれたけどどこかにいってしまった。っという話を思い出した。是非見つかって欲しいモノです(笑)
歴史っていうのはそうやってつながって来てるんだなぁ。っとリアルに感じさせていただいた。
3のモディリアーニの成熟期?では目を塗り潰すことで新たなスタイルを切り拓いたと説明には書いてあった。
たしかに目を塗り潰すと東洋的な印象となり、パリの人たちは洗練されたモノを好む傾向があるので、そのあたりはマッチングしたんだろうな。っと感じた。
おかげ髪の少女の作品は目が見えるのだけど、生命力に溢れているともいうけど、少し野暮ったくも感じられるのかもしれない。が、この作品は気持ちがこもっていて好きだ。
絵を見ていて、あ、こここういう意識で描いたなとかが伝わってくるところがアーティストでいて良かったな。っと思うところです。
裸婦だけ写真撮って良かったのでパシャリ。モディリアーニの裸婦は顔はシャープだが身体は基本豊満である。
最後に印象的な言葉が書かれていた。
自分に犠牲を強いてはいけない
君の真の務めは、自分自身の夢を守ることだ。
美は、時として苦しい義務を伴うが、そこから、魂の最も美しい働きが生み出されてくるのだ。
アメデオモディリアーニ。
友人への手紙より。
一生かけてでも自分の美学を守らないといけない。それがアーティストの使命である。それくらい実は真面目な仕事なんだと思う。
いつからアーティストは自由で好き勝手やってる人たちと誤解されたのだろう?それは良くも悪くも中之島美術館の夏の展示会の岡本太郎なんだと思う(笑)
共感
このアインシュタインさんの言葉はボクが日頃から感じている事を見事に言葉にしてくれていた。
皆さまにも是非共感していただきたい所なのでシェアします。
「人類は « 宇宙 »と呼ばれる全体の一部であり、時空の限られた一部分である。それ以外から隔てられた何かとして ….意識がつくりだす一種の視覚的妄想である。この妄想は、われわれを、個人的な欲望と、ごく身近な人たちに対する感情へと閉じ込めてしまう、ある種の牢獄である。我々の任務は、自らをこの牢獄から解放することでなければならない。共感の輪を広げ、すべての生きとし生けるものと、その美において、すべての自然を抱きしめることによって。」
(翻訳 /明治大学人類学,意識研究・蛭川 立)
この文を紹介して下さったナオさんに感謝です。
http://www.doreekami.com/index.php?rubrique=bio&lang=jp
神秘体験
人生が変わるくらいの神秘体験をある人が絵を描いてみると思ったよりも陳腐だ
こんなコトを伝えたいのではないという事はよくあると思う。
そのあたりを表現できるのに長い時間がかかったなぁ
光
この一年で続けてきたことは自然光、朝の光で制作するという事だった。
当然ながら蛍光灯で制作するのと自然光で制作するのではその時のノリが変わってくる。設計図があって制作するのは人工光の方が安定していてブレないから良いのだけどボクは朝の光の中の創造性というインスピレーションにやられてしまった。
電気が発明される前はもちろん自然光で制作してきた。あっても蝋燭の炎とか。もちろん仏像もそうだ。
ボクはそこに逆行しつつも光が映り変わっていく面白さにとりつかれてしまったのかもしれない。
もしくは光が奏でる一瞬の色彩の恍惚感に取り憑かれてしまったのかもしれない。
どちらにしても取り憑かれているのだが、自然光の美しさをしれば人工の光は本当に味けない。今っぽくて良いのもわかるんだけど、やっぱり味気ない。
世界、天地自然は美しい。人工と自然の融和的、を目指す事が人類の目標なのだと思う。それは梵我一如にも通じる
東大寺観音院七人展が終わります。
明日で観音院7人展が終わります。
おかげさまで展示会は盛況で、来年もやってほしいという声が多く聞かれました。偶然、必然と思われる出会いがあり、観音様に導いていたなぁ。っという気持ちでいっぱいです。
来ていただきました皆様、本当にありがとうございました。
やっと10月の八展示の怒濤の展示会月がおわり、また制作期間に入りたいと思います。
そして、私事なんですが、クリエイターの祭典rooms43で東京に滞在していた10月22日の夕方に実家から電話があり、兄が亡くなったコトを知らされました。
以前から心臓を患っていて、一年前に心不全になり最近は調子よさそうでしたが、急になくなりました。
22日の前日に気と書いた三峯神社のお守りを偶然拾ったり友人にいきなり塩をもらったり、何か変だな。っと感じていました
あと、22日の未明に西宮にいた妻が急に目が覚めて祭壇を掃き清めていたらしいです。その時間帯になくなっていたようです。
何か見えない世界であったんだろうなぁ。っとしか思えません。
しかし、少しも苦しまずに一瞬でいったようで、そのあたりはよかった。
父親には今は自分の仕事が大切だからと、帰らずに芸術をやって人に喜んでもらってこいと背中を押していただきました。
その気概でそのまま観音院の展示会まで走らせていただきました。
まだお骨になった兄を拝めていないので、根底に少しザワザワした想いがあったのですが、毎日お寺、しかも先祖はみな東大寺に関わっているというお寺に通わせていただいて毎日兄をどこらかしかに拝ませていただきました。
観音様への奉納演奏はスティーブエトウさんと場所のおかげで、自分もとても清らかな心地となりました。
何か色々なモノが動いているのを感じた10月下旬でした。
兄はある時から引きこもり、
日本の、高度経済成長の歪みみたいな人生だっのかもしれません。ボクたちの親世代の長男はそういう方が多いと聞きます。そういうモノへの鎮魂がまた大切なのだろうな。っとも感じています。
観音様のお導きと沢山の方のご尽力で良いものが出来たと思います。
ボクにとってはこの展示が兄への鎮魂歌だったのかもしれません。
アーティストの仕事は人の心を喜ばせる、そして人が普通の状態では感知出来ない現象を感じてもらうことです。そういう仕事を出来て本当に幸せだな。っと改めて思います。しかし、ただノホホンと作っているわけではなく、ボクはそれで生活をしているので、とにかく必死です。
もちろんボクにも色々な苦しみや苦悩はありますが、それが人に感じてもらえるモノが出来るのだと思っています。
大変ですが、この道を歩ませていただく事に対する充実感と感謝でしかありません。
では、明日までの東大寺観音院七人展
全ての存在が自然で安らかでありますよう、感謝と祈念でのぞみたいと思います。
人工降雨
最近の雨はおかしい
それは自然がおかしくなったからだ。温暖化だという話はよく聞くが、人工降雨ということも念頭においた方がよいかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nyomurayo/20161015-00063261
ウソみたいな話だけど人工降雨も人工地震も戦後には成立されていて
そのような技術を暗に研究しないわけはないだろう。
今回の前線も上がって下がってアンナチュラルすぎる。
科学技術は予想以上に進んでいる。友達の科学者がどこにお金が投入されるか?というだけで何でも出来ると思う。っと言っていたが、もうアトムの世界になる事はできただろうけど、しなかったんだろうな。っと思う。
昭和22年でこんな事が行われているのだから、ユーラシア大陸のどこかで何か行われていてもおかしくない。
実際に北京オリンピックの時はハトを飛ばすために天気を操作している
https://news.yahoo.co.jp/byline/nyomurayo/20161015-00063261
別にこれは恐怖をあおるわけではなくどこの国も政治というものは裏で色々とやっていて当然なので、その真偽はともかく
たびたび日本にはこのような雨がやってくるかもしれない。っというか、そうなると考えて行動していく方がよいだろう。
何しろこれからの地球は想定外の連続なのだから。
自然の中で
自然の美しさに近づこう
近づこうとする行為がアートだ
ボクらは自然の子供のようなものだら
破壊と創造
有史以前より人類は破壊と創造を繰り返して来た。それは何の分野でもそうだが、
この度の大阪都構想は一つのその機会を失ったのだな。っという思いがつよい。
人間というものは本来不完全な存在であるのだ。
っ特に人が沢山集まるとそれは益々如実となる。
百年続くアイデア等ほぼない。それは沢山の考え方、価値観の人がいるからである。
それらを統率、永続させていくコトはほぼ不可能なので、
っというわけでそのアイデアが飽和状態、蔓延化するとそれらを軌道修正していかなければならない。
大阪はきっと十年後に感じる所があるのではないかなぁ。っと思う。
トラフも絶対にくるし。そのあたりも維新の人たちは考えていて、同時に自民党はその辺りをブロックした。
っていうのはボクは2020年から2025年まで日本はドンドン弱らされる流れにあるとおもいた。これは2018年くらいから感じでいたコト。
んで、弱りきった時には革命はもう出来ないものだ。そんな元気はもうない。
現状維持というのはとても都合の良い言葉だが、ボクは大きい意味では現状維持は衰退だと思っている。
日本人は革命を嫌がる。それは島国育ちでやはり革命には慣れていない所があるからだろう。
後、先を感じる力はやはり薄いのだと思う。
それでいけて来たところがやっぱり日本って所はすごいなぁ。っと思い所でもあるのだが…(笑)
参考までに。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/101800211/