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theohazeの記録

theohazeの独断と偏見による雑記

岡山高梁市

今日は岡山高梁市にきてます。

 

お友達の住職がされている稚児行列に娘が参加するためです。

 

旅に出る時には大体、三味線を持って

ピンと来た場所で演奏します。

 

今日もピンときて木野山神社という社の奥宮で演奏しました。

 

中々の崖っぷちの悪路でしたが

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良い場所でした。

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やはり人が沢山入ると場があれるので

禁足地とかはわかりますね。

 

良い磁場でした。

 

 

狛犬の代わりに狼が沢山おりました。

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ホテルに着いて調べてみると

 

お稲荷さんの狐は元は狼だった

っという話があって

 

狼は秦氏が祀っていたという記事がありました。

 

伏見稲荷大社秦氏だし

あ〜

っと思いました。

 

あ、狐とか狼とかは神の眷属で

 

っというのは山の神が動物をつかって知らせてくるという考え方です。

 

 

この神社の祭神は大山祇の命でして

ボクの母方の先祖がしまなみ海道村上水軍がルーツの能島といい、大三島という島で大山祇の命を祀っていたのです。

 

んで、

 

住職さんも秦さん  っていうんですよね。

 

 

結局人生って

楽しんだもん勝ちだなっておもう

 

勝ち負けの問題じゃないけれど。

 

 

ついつい真面目にシリアスになってしまいがちだけど

 

チャップリンが言ってたよ

 

人生は近くからみたら悲劇だが

遠くからみたら喜劇だ

 

っと

 

楽しんで楽しんで

 

 

こだわるベキトコはこだわって

変なこだわり(プライド)をなくして感謝して

 

 

色々なコトもあるけど

 

過去世も来世もあると思うけど

 

この人生は一回きりだし

 

前向きに体験して

 

あ〜、もうやりたいコトないわ〜

 

いうて

大往生しましょー♪

 

 

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幸せについて

幸せって漠然というけど幸せって何?

 

っと思う。

 

 

ボクは何かしら心がずっと楽しい状態だと思う。

何かしら楽しい感覚。

 

 

楽しいコトは人によって違うのだ。

 

世間で推奨されるようなコトをやってみたけど楽しくなかったり。

 

逆に世間的にはそんな変な…  っと思うようなコトが楽しかったり

 

それくらい人によって違う。

 

幸せになるためには人と比べすぎないコトだ。

 

刺激程度には良いかもしれないが。

 

自分は自分。

 

 

基本的には自分で生きて自分で死んでいくのが人生なのだ。

その中でたくさんの人と触れ合って生きていく。

それはそれはありがたい事象なのだ。

 

 

 

人の人生というのは上がったり下がったり。

そういうのの連続だが。

 

根底に楽しいという感覚。

 

それは自分の道を歩いているというコトではないだろうか。

 

 

ボクは天川で神風らしきものが吹いた時点から20年ほど何やかんやいってずっと楽しい。

 

束縛のない霊的な交信が1番楽しい。

ので、奉納演奏をライフワークにしている。

 

 

気分がちょっと優れない時にも

 

空が晴れ渡っていたりして、空を感じたり

 

鳥の美しい囀りを聴いたりするだけでとても楽しく幸せだ。

 

きっと、そのために目や耳や感覚を鍛えて来たのだな。っと思う。

 

感じるというコトは

 

たまに感じ過ぎて生きづらいコトもある。

 

情報量がハンパない。

 

が、やはり感じれた方がボクは幸せだった。

 

 

 

 真理は

人の顔ほどもあると思う。

 

顔っていうのは大体目があり、鼻があり、口がある。

が、微妙に位置や大きさや形が違うので全く違う顔になる。

 

それくらい真理というモノは人それぞれなのだと思う。

ので、自分の真理、道を見つけるコトが人生に於いて重要なコトなのではないだろうか。

 

顔がそれぞれ違うように

真理も人それぞれ

 

っと思う。

 

 

それには自分の道を歩いていくコト。

 

それは その人らしいっていうコト。

 

 

らしいっていうのは自然な状態なコト。

 

 

新興宗教に入ってみた話

田舎暮らしをしている時にとある新興宗教に入ってみました。

 

っていうのは新興宗教って何となく怪しいっていうのは思うと思うんですけど、実際に自分で感じてみようと思っていて、ふとそのタイミングがあったので入ってみました。

 

ボクはそれくらい神や宗教、哲学、について本気で納得してみたかった。

 

色々な境遇の方がおられると思うので出来るだけ淡々と書いてみたいと思います。

 

入りたければ入ればよいのです。

それくらい心が苦しければ人は何かにすがらないと生きていけない。

ただ、何を信じて生きていくかだけなのです。

 

真理は人の顔のように似通っているけれど、人の顔くらい微妙に違う真理があると思っているのです。

 

 

が、もうちょっと深いかと思っていたけど、ちょっと紐解いたらファファーっと紐解けるような内容でしたので、ボクは納得出来ませんでした。

 

多分、ボクの方が怪しいと思う。

 

 

 

まず入るのは簡単です。

ちょちょちょ っとサインすればよい。

 

そして3日ほど講習があります。

その教義の経典をもとに講習があるのですが、終末思想を軸に脅して意識を統一させるというやり方です。

 

大体の商売で使われてますね♪ 飴とムチ。 緊張と緩和。集団洗脳。

子育てもそうですけどね(笑)

 

キュッと締めてホッとさせてやる。

そうすると人は安心して

 

脳が快になる。

そういう時であれば洗脳出来ます。

 

実際、嫁がある脳科学者に招待されて洗脳のやり方を教わったんですが、緊張と緩和が基本のようで。

 

以前も書きましたが、お会いした三国志の時代から続くある客家の家が洗脳を開発したようです。

 

 

緊張と緩和。それをさらに集団でやるとより効果があるのです。

 

 

脳ってホント不思議。

1番不思議なのは教義でもなんでもなくて人間。自分が1番不思議だと思います(笑)

 

 

んで、3日間集団洗脳が行われて3日経てば大体やや洗脳されてます。

 

 

そしてその呪の植え付けをより強固にするためにペンダントをもらいます。

 

それをずっとつけていなければならない。

 

そして、それは地面に絶対置いてはならないのです。

しかし横になったりする時につけててもオッケーなんです。

 

なんかオカシくない?(笑)

 

 

そして、よく見るとちょいちょいっと小銭を徴収されます。500円とか千円とかです。

あと講習は本とかくれて一万円くらいだったかな?

 

うまいコト取っていきます。

 

 

んで、ボクは何故かそれをもらった日に地面に置いてしまいました!(笑)

 

んで、あ〜   落としてもた〜

 

っと2日くらい経ちましたが特に何もなく。

向こうから解るわけではないようだな。

 

っと思い、自己申告をしましたら。

ペンダントを清めるといって何千円。

 

その時点で  上手いコトできた企業やな(笑)

っと思ってしまいました。

 

その後、六麓荘に住んでるある教団の幹部の方とかとお会いする機会があったんですけどね。

その方はおヤクザさんが来られたりした時に対処する方だったらしいんですけど、やっぱり信者は騙されてる。じゃないけど、上手いコトされている。っとは言ってましたが、まぁ、それも一つの癒しだから良いと割り切ってました。

 

 

 

んで、その教団の特徴としては手かざしなんですけど、これを眉間に当てるんですよね。

 

するとたまにある種の体験が起こるんですよ。

 

これは第三の目がある場所であまり人に触れさせてはならない場所なんですね。コアな場所なんです。

 

仏の像とかは半眼でしょ?

あれは眉間に意識を集中する方法なんです。

 

 

そこに念や波動をずっと送られれば、何か起こる確率は高いのです。しかし、それはその教団がどう。っとかいうよりも、人っていうものがそういうものなのです。呪文を唱えて変性意識状態にしてそこに念を送るのです。

 

それを集団ですればするほどトランスして何か起こります。

 

 

 

その教団は大本派生の派生の教団だったのですが大本の時は手かざしは禁じ手だったのです。

 

いわゆる術ですから。

 

それを解放した。確かに術だから効果はありますが、あまり理解されないままで実績している方が多いと思うので歪みも多いかとは思います。

 

しかし、実際に色々な現象が起こるので教団としての宣伝効果はすごいでしょう。

 

バリではその第三の目をとる人とかもいて、とられると操られたり、霊障が起こるのでなかなか大変なのです(笑)

 

 

ボクは大本教から別れて別れた教団に入ってみたのですが

 

ってか、まず世界平和をうたっているんですけど、ちょっと調べたら前の教団と喧嘩し新しい教団を作ってるんですよね。

 

その時点でオカシイやろ?(笑)っと思いました。

 

禁じ手を使っているのと

喧嘩して派生したのをどれくらいの人が知ってるのかな〜っと思いました。

 

 

んで1番大変だったのは

 

抜けるとき。

 

ボクは二週間ほどで脱退したのですが、抜ける時には二時間くらい脅されましたね。

 

 

まず、絶対よくないコトが起こりますよ。

っと脅されて。

だんだんとエスカレートしていって

 

家族に不幸が起こるとか

 

最終的には

 

死にますよ。

 

っといわれました(笑)

 

まぁ、そのうち死ぬけどな〜(笑)

 

 

 

それを振り切って辞めないと行けません。

 

 

それもこのブログの最初の方で書いた呪なのです。

思い込みをつけるのです。

 

何かいわれた帰り道に何かちょっとしたコトがあったらば、アレのせいだ。と思うでしょ?んで、信者と教祖の関係になるでしょう?

 

 

しかし、それは自分で呪をつけて思い込んで自分で引き寄せて自分で起こしているだけなのです。

 

その辺のカラクリがなかなか霊妙不可思議なんですが、人間っていうモノは実はそれくらい不可思議なモノだと思います。

 

呪のコトが理解できたら

 

ははー

 

って感じですが、それを知らないと本当に恐ろしすぎて抜けれないでしょう。

 

 

ボクは霊的なコトをするに当たって1番大切なコトは自由意思だと思ってます。強制して脅されてする霊的なコトはまたちょっと違うフェーズだと思ってます。

 

自分が幸せを感じれれば良いのです

 

霊的なコトで評価を求めるようになれば商売色が強くなります。

 

 

霊的なコトは個人が向かうもので

 

気持ちが清々しい。気持ち良い、楽しいコトだと思ってます。

 

 

またその教団に限らず、どの新興宗教東京都知事とかされたような有名な政治家さんが絡んでたりして、信者の方は 

 

ほら、すごいやろ⁉︎っていうんですけど。

 

確かに影響力あるんですけど、教祖と仲良くなったら票集め簡単ですから‼︎っとかまでは裏を見ないんですよね。

 

 

けど、きっとこれを読んでる人もある種の勧誘にあったコトあると思うんですけどね、究極その人が楽しそうで幸せそうであれば良いと思うんですよ。

 

んでね、その中でコミュニティや仕事や友達が出来たりして、ある種学校みたいな感じだと思うんですよね。

 

その事象がその人の道かどうか。だと思うのですよ。

 

んで、多分ものすごい辛いコトがあった人もいると思うんですよ。

だからね、暖かい眼差しでみてあげてほしいと思うんですよ。

 

それで心が軽くなるのなら。

癒されるのなら、それはとってとても良いコトだと思うんですよね。

 

 

 

ただ、ボクは納得出来なかった。

 

 

人によって美味しいモノは違う

 

 

それだけなんです。

 

 

 

ドラえもんってね

ドラえもんは日本、アジア圏では大人気だが

 

フランスでは人気がなくすぐに打ち切りになったという

 

何故かというと

 

すぐに人を頼るから

 

あかんたれやん!

 

みたいな(笑)

 

ヨーロッパは人生は自分で切り開くヒーロー

みたいなのが基本なんですよね。

 

そのあたりが違う。

 

 

ヒーローは万能でタフであればあるほど良いのです。

ので、ワンピースもドラゴンボールも人気があります。

 

東洋は

 

他力本願みたいなのが根付いてますから(笑)

輪廻転生もあるし、何とかなるやろ。みたいな。神社でお願いゴトみたいなのが基本的にあるのです。

 

 

教会はそういうお願いする場所ではないのです。

基本魂の救済でイエスさまが中心でヒーローなんです。

 

力なんです。

 

フランス人の友人が

今の時代は神はお金とロックスターに変わったと言っていたけどまさにそんな感じで

 

 

日常のほとんどのコトは理的です。

大根の種を蒔いたら大根でしょ?

みたいな。オレが大根の種を蒔いた。

 

日本はとりあえず種蒔いてたら何とかなった。みたいな。神さまのおかげ。

 

 

能動的か受動的か

 

おかげさま。

 

理的。

 

そしてまたそのチグハグ具合が面白いのです。

機会があれば書きますが。

 

そのあたりの意識の違いを根底置いて色々と見てみると、また面白いのです。

 

三味線ストリートで学んだコト

十代の後半から二十代の前半

ボクはストリートで津軽三味線を演奏していた。

 

歌舞伎の開祖、出雲阿国津軽三味線の門付けのように芸能の原点は河原者にあると思ったからだ。

 

いきなりそこに座り込んで弾き乞う行為は本当に嫌だったが、沢山のコトを教えてもらった。

 

いきなりしゃがみこんで目の前のちょっと先にお金を入れてもらう帽子を置く。

 

何も置かなくて聞いてもらいたいので置かない人もいると思うが、それは独りよがりになりがちなのでコミュニケーションをしたい。

 

お金を出すというのも一つのコミュニケーションだと思う。そしてその芸に対する評価だからだ。

 

評価というのは本当に厳しい。

 

人は興味のないものに対しては空気くらいの扱いをするものだ。

しかし、そこで負けては行けない。

いかにしたら振り向かせるか?それを考えるのだ。

 

例えばボクは

 

音にこだわる。

弦は最上級。

 

三味線の3弦の太さは基本

1  30

2   15

3   13

 

だが

1  35

2  17

3  14

 

っとかなり太めである。

太くなるほど

スパーん っと弾きぬくのが難しくなる。

 

しかし、音量はすごい。

 

室内の音楽は微細なモノも大切だが、ストリート大道芸はまずインパクトが大切だ。

 

後、気迫。

 

 

演奏は一度始まると何がらおこっても最後までは終わらない。

 

三味線の弦は2時間も渾身の音で弾きまくっていると2と3の糸が削れて切れるコトがある。

 

三味線の弦が一本になっても。とりあえずなんとかして弾ききる。それも一つのパフォーマンスだが、それでも何とか出来るというトコに人は感動するものなのだ。

 

 

 

そういうこだわり、熱心さというものは人にも伝わるようで

 

にいちゃん頑張ってなー

っとか色々な食べ物や飲み物を置いていってくれたり、そりゃヤクザやチンピラに場所代をせがまれるコトもあったが、それも含め何とかしてきた。

 

けど、それで学んだ1番大切なコトは

 

 

人っていうのは独りでは生きていない。

 

っということだと思う。

 

 

極端で単純な話。今、着ている服、家も誰かが作ってくれているというコトだ。野菜も種を植えて育ててくれている人がいる。

 

そういう目線で全てのモノを感じるとまた世界が変わる。

 

実は世界は愛に包まれているのだ。

それを感じるか感じないかは自分次第なのである。

 

 

人はつい独りで生きていると思いがちだし

 

そういう風に思いやすい時代なのだが決してそんなコトはない

 

 

それは

 

心の底からありがたいな

 

って思うコト

 

 

それは人として幸せに生きていくための基本なのだとも思う。

 

 

そう思えないなら本当にやりたいコトをバカみたいにやってみる。そうすると感謝は自然と生まれるはずだ。

 

 

色々な情報に振り回されて自分のコトを忘れそうになったり全てが嫌になったりする時、着ている服を見たりして感じてみて欲しい。

 

 

人はどんな人も一人では生きてないんだよ〜♪

 

人の歴史は洗脳の歴史

人の歴史は洗脳の歴史でもあると思う。

 

っていうのはたくさんの人が一緒に生きていく上で潤滑に社会が育まれていくためには洗脳というものがどうしても必要である。

 

以前客家のトップの人に会った時、その家は三国志くらいからの家らしいのだが、洗脳を開発した家らしい。

 

心を取られれば戦う必要がなくなるからだ。

 

そういう術は長い時間、磨かれていき今に至る。

 

っという意味で2017年現代社会の洗脳は非常に高度である。

 

 

洗脳というと大体の人は宗教と思うかもしれないが、教育や道徳もある意味立派な洗脳であるとも思う。所変われば常識が変わるというように

 

とりまく識全てを変えてしまうことなのだ。

 

けど、物事はドンドン潤滑になっていき、摩擦も少なくなっていっている。

 

奥の方に歪みはあるかもしれないが、それもいずれは目に見える形でポコっポコっと解消されていく。

 

ズガーンと目の前でやられるよりはマシだろう

 

結局皆が望んだ形が今なのである。

 

悪いコトは何もない

 

楽しもう

 

天寿を全うしよう