theohazeの記録

theohazeの独断と偏見による雑記

自分に感謝

現代社会は

よく人には感謝するコトを教えています。

 

しかし

 

もう1つ大切なコトは

 

自分に感謝するコト

ではないのかな?っと思います。

 

ナルシスとはまた違う意味で。

もっと根本的な話。

 

 

何故かというと

 

この世界のすべてのコトは自分を通して認識しているからです。

自分という存在がなければ見るコトも聴くコトも食べるコトも触るコトもできないのです。

 

そう言われると不思議だな。っと思いませんか?

 

 

自分を通じて世界を感じて体験しているわけなんです。

 

自分というものが終わるとまわりの世界は続いていってるとは思いますが、自分の今はとりあえず終わります。

 

輪廻転生はあるかもしれませんが、とりあえず今世は終わりです。

 

 

自分が自分の物語を歩いていっているわけです。

 

 

ので、自分というものの存在をもっと認識すると自然と感謝は生まれてくると思います。

 

 

 

とても儚い ありがたい

 

 

なんだと思います。

 

 

 

 

 

 

幻の果物

先日お友達の住職が兼務されているお寺の観月会へ行った時にいただいた果物

 

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ポポーというらしく

ドリアンのような果物と紹介された

 

ドリアン?あの強力な香りの?

 

ドリアンは好き嫌いがパキっとわかれて

ドリアン普通っていう人はあまりいないように思う。

 

 生臭いとか生々しいとか
そんな言葉をよく聞く

 

一緒にいた時に食べたので、一口食べた後にもう二口、三口と完食すると

 

嫁にもウソーンと言われたが、よくよく味わうとかなり複雑な風味でクセになるのである。

 

 

ポポーは見た感じはアケビみたいだな。っと思った。

切ったやつを一口いただくと確かに独特な香りがあり苦手な人は苦手だろう(笑)

 

 

しかし、ボクはドリアン好き派なのでポポーは全然大丈夫であった。

 

 

 

 

そして調べてみると

ポポーは何と幻の果物と言われていて貴重なものらしい。

 

名前からして幻っぽいではないか!

 

原産は北米で「森のカスタードクリーム」とか「カスタード・アップル」とかいわれていて、後日本ではアケビガキともいわれているらしい。

 

確かにアケビと柿の間みたいかも。

 

 

具体的に食感だけを説明すると

 

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まず皮もった柔らかさはアケビっぽくて果肉のゆるい方向性もアケビに近い

 

そしてスプーンでこそいで食べるのだけどその食感はアボガドを柔らかくしたような感じ、そして

やや種のまわりにあるゼリー状のモノがあるところが柿っぽい

 

 

 

そして実は栄養価が高く、抗酸化作用がすごいらしい。

 

アンチエイジング

 

それを聞いた瞬間に嫁がさっきまで敬遠していたのにサッと食べていたのに笑ってしまった(笑)

 

体育の日のいつも

もう終わった話でアレなんですが

阪神間の気候の話なんですが

 

体育の日ってね、毎年絶対暑くなってるんですよ

 

ここ10年くらい、意識して過ごしていたんですが今年もやはりそうでした。

 

彼岸で一度冷えて体育の日で二、三日暑くなる

 

 

異常気象とはいえ、昔からいわれているコトはまだまだ通用するようですね。

 

例えば

 

ご存知かとは思いますが

暑さ寒さも彼岸まで。

という言葉があるように、3月の彼岸までは寒く9月の彼岸まではなんだかんだいって暑いのです。

 

そして9月の彼岸で少し肌寒くなり体育の日あたりで蚊が出るほどに暑くなります。

 

そして、その後季節の変わり目の雨が降り、秋本番って感じです。

 

 

冬は三寒四温。これもそのようです。

 

こういう細かいリズムを覚えておけば準備に右往左往しませんしね。

 

しかし、ウチの母親が若い頃は神戸の六甲山には雪が積もっていたらしく、スキーで滑っておりてこれたらしいです。

 

しかも30度を越える日は夏でも数えるほどしかなかったらしいのです。

 

はーって感じですね〜

 

今更クーラーはやめられないし、車もやめられないし。

電気自動車になったらまた電気がめちゃくちゃいるし

水素になっても水がまた死ぬほどいるわけですからね〜。

 

今からみんな自給自足、徒歩は出来ないだろうし。

 

はーって感じですが〜。

 

右まわりなんだろなー

 

ホント。

 

 

裸になる時

ど〜でも良いけど、どーでもよくない話が

たくさんあります。

 

 

これもその1つですが

 

服をぬぐ順番とか、みんな違うかと思うんですよね。

 

 

例えばお風呂に入るときとかに服を脱ぐ順番ですけどどうですか?

 

 

ボクはまず靴下です。

 

靴下は最後とかは絶対ありえない。

 

最後に靴下だけになるのは絶対嫌だ

 

 

 

靴下の次は上着→ズボン→下着かと思うんですが

 

最後にTシャツとかも絶対いやです。

 

 

ありえない!

 

 

どんなに急いでいてもこの順番は変わらないのです。

同時に脱ぐとしてもこの順番は意識しながらしてしまうという。

 

 

最後にティーシャツも靴下ほどではないけど、やはりありえない。

 

そうやんね?

モノと情報と人生

モノについて考える。

 

それはホントに必要なものなのだろうか?

モノに降り回されていないだろうか?

 

使い切れていないのであればそれは不要なモノなのだと思う。

 

いつかいると思ってとっておくのは意外に不要なものです。

 

大体の実家は捨てきれないモノに溢れていてモノを使うのではなくモノに支配されている。

 

人生というものは思っているよりももっともっと短い。

 

いるものいらないものを明確にしていくコトでよりスッキリしていくコトを心がけたい

 

まぁ、いわゆる断捨離で(笑)

 

 

そして、今の時代は

情報も断捨離しなければならない

 

情報はカタチがないのでまたややこしく、しかもよく見せるように出来ている。

 

 

情報に降り回されていたら、それはその人にとっては要らないものなのだろう。

 

今の時代の情報量は

江戸時代の一生分の情報量が

今の人の一週間分くらいらしい(笑)

 

それくらい情報過多な時代。

が、自分が好きなものをひたすらとれる時代でもある。

 

何でもプラス面とマイナス面がある。

 

ので、いちいち色々なモノに振り回されていると訳のわからないまま人生は終わるだろう。

 

物事の根本をみる練習をしたい。

例えば自己啓発というものもイギリスが仕掛けた商売の流れでもある。タダの善意ではなく、商売はこの世の95パーセントというコトを頭においていたい。

 

誰が何のためにそれをしているか?

 

そのあたりを根に置きながら物事を見定めたい

 

ボクはスピリチュアルの商売もより日本人を混乱させるために仕掛けられているのではないかな?っと思う。

 

だって人生ってスピリチュアルなものだから商売じゃないでしょ?

しかし、それによって間口が広がってより精神性が広がるのでやはり何でもプラスとマイナス。

振り回されないようにね。

 

 

必要なモノと情報。

それは人によって違うのだと思うけど

自分にとって大切なモノ。本当に大切なモノを感じるコトに気をつけたい。

 

それは心が パァーっと喜ぶコト。

それがその人にとって大切なコトなのだと思う。心の底から喜べるコト。それを感じたい。

 

憧れとはそれは違う。

 

心が閉じられたり面白そうなものがたくさんある時代なので、この世に生まれて知りたいコト、体験したいコトはなんだったか?を感じてみたらよいと思う。

 

誰がなんと言おうと

人は人

 

自分は自分なのである。

 

自分で生まれて自分で逝くのが人生である。

もちろん意固地になるのではなく

人がいてこその自分。

 

しかし、この世を認識しているのは自分を通じてなのである。

 

 

ので、自分を含めて全てのモノに感謝して生きれたら嬉しいね♪

 

 

 

最近、脳を研究している人と喋っていて思ったコト。

 

自己啓発系の本を読むと無意識っていうコトバがよく出てくるけど、実は生活のほとんどが無意識の状態で

 

食べるのも無意識、歩くのも無意識。

ピアノも鍛錬していけば無意識の状態で弾いているようだ。

 

確かにボクもドラム叩いたり絵を描いたりしている時は、ほとんど無意識なんだな

 

っと思う。

 

 

そこで面白いのが無意識は作られていくモノ

 

っというコトである。

 

無意識は実はインプットされたものによって出来ていくので

 

 

自分がまずどこに行きたいのか?

っという欲求を明確にして

 

 

何を見て  何を聴いて 何に触れて

 

っというコトを選んでインプットしていく。

 

そういうコトは無意識を使って行く上ではとても重要なコトなのだ。

 

 

その辺をシビアに

一貫性を持ったモノにしていくと、情報が整理されてドンドンとスッキリしていくんじゃないかな♪

 

 

 

 

 

嫁と 金粉

嫁はたまに金粉

 

いや

 

たまに雲母のようなキラキラしたものを出す。

 

大体、何かの良い兆しの時にキラキラと手に金粉が出るのだけど

 

 

付き合った当初はよっぽど嬉しかったようで

 

はは(笑)

 

顔全面に雲母のようなものがキラキラ光っていたコトがある。 

 

それは雪彦山を登っている時に起こった。

 

因みに雪彦山とはこんな山

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因みにボクらはいわゆる町でデートとかはやったコトがなくて

だいたい

 

巡礼がデートみたいなものであった。

 

最近スターウオーズ7を息子と三人で映画館に観にいって初めて映画館来たな

 

っと笑ったものである。

 

 

話は雪彦山にもどって

 

ボクが先、嫁が後みたいな感じで歩いていて

 

 

そして、ふと後ろを振り返ると

嫁の顔にラメがついていたので

 

化粧かな〜?

 

っと思っているとドンドンそれが増えていって。

あ〜、これはただ事ではないな。

 

っと思っているウチにもドンドン増えて顔中キラキラして雲母だらけみたいになってしまった。

 

まさに顔がラメまみれであったがしばらくするとフッと消えた。

 

どうやら聖人や宗教家が死んだりしたら体から出るようなモノらしいんだけど

 

 

そこまでキラキラしたのはボクも一度しかみていないので

 

きっと心が物凄く喜んだんだろうな。

 

っと解釈した。

 

 

今度はいつ見れるんかな〜(笑) 

またキラキラさせてあげたいな〜(笑)

 

っとかも思う。

 

ポップアートとは?

ポップアートという言葉はきいたコトがあるかもしれないが
ポップアートとはなんぞや?

実は定義がある。(笑)

 

津軽三味線津軽じょんがら節の
じょんがらという意味を知らないように言葉の表面的な部分で流れていく言葉っていうのは本当に多い。

津軽三味線やっていて じょんがら の意味を知らない人は本当に多いので。

有名な記号になるほどその本質は突き詰めない。
日本の硬貨を足すと666になるコトなんて思いもよらない人が多いだろうが、意外にそこにサインがある

 

ボクはそういう表面しか見れない人たちはある意味羨ましくも思う。

裏を見て見続けることはそれはそれでしんどくもある。が、気づいてしまうのでしょうがない。

平和ボケでは生きれなくなる

 

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そう

一般人はすぐに常識的な穴に逃げる。

 

 

前の大戦いつの世も知らない内になっていったという言葉をよく聞く。そう。隠されるものは隠され。出されるものは出される。その塩梅が絶妙なのだ。

 

例えば重要な法案が可決される時にそっちよりも影響力のある芸能ネタを飛ばす。

すると大衆はそっちを見る。

 

知らない間にスルー。しかし、発表はちゃんとして既成事実はあるというふうに、情報も誰がどのような利点があってそれをしているのか?

っというコトを見ていくとまた面白い。っというか意外に露骨なのです。

 

話は戻って

 

以前ポップアートコンセプチュアルアートはアメリカの発明だと書いたコトがあるが、実はポップアートのオリジンはイギリス人のリチャードハミルトン

コンセプチュアルの芽吹きはフランス生まれのマルセルデゥシャンであると思う。

それがアメリカで開花した。

 

いや、アメリカが開花させたというべきか

 

 

始めてニューヨークに行った時に
アメリカはイギリスの子供みたいな国やな。
っとイギリスに行ったコトもないのに感じたのだが、それも一概に外れてはいなかった。

 

リチャードハミルトンさんの考えた
ポップアートの定義は


簡単に忘れられること
大衆的であること
若者向けであること
ウィットに富んでいること
セクシーであること
まやかしであること
グラマラスであること
大儲け(ビッグビジネス)であること


である。
これをみると

ウォーホルとリキテンシュタインがいかに
これを捕まえたか

っということがよくわかるだろう。

 

ポップアートポップアートというがその定義すらアートやってても知らない。

 

そんなもの

 

ちなみに

キースへリングや
バスキアはグラフィテー


これからもっと

グラフィティーの流れを押し出したいのだ。

何故ならそれはファッションともよりリンクをするからだ。

そして世界中の若者の共通している部分

 

スマートフォンの普及により
人々は自分の知りたいコトをより知れる時代となった。


ので、アートの世界も生き残りが必死なのである。


けど、格好つけなければならない(笑)

 

そして民衆にも広く知られるが、ハイアートでも通用するものでなければならない。

 

そのあたりを引きつけるアーティストの出現を待っているのである。

 

いや、近未来はもう仕掛けられてる

それは誰かというと。